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はじめに

皆さん、こんにちは。
原宿・表参道で唯一の米屋、小池精米店・三代目、五ツ星お米マイスター・東京米スターの小池理雄(ただお)です。

弊社は東京都渋谷区神宮前、いわゆる原宿・表参道に立地しております。
創業は1930年。私の祖父、小池虎雄が創業しました。祖父・虎雄は長野県北御牧村(現在の東御市)出身ですが、縁あってこの原宿で創業し、以降、弊社は原宿・表参道の発展とともに今日まで歩んでまいりました。

よく「原宿でお米屋さんって珍しいですよね!」と言われます。それもそのはず。原宿(神宮前地区)の米屋は今では弊社だけになってしまいました。かつて原宿には、数十店舗の米屋がありました。ところが、1995年の食糧管理法の廃止により米屋以外のお店でもお米が買えるようになると、原宿の米屋は徐々に減っていきます。

ある統計によると、日本全国の世帯のうち米屋でお米を買う世帯は5%に過ぎません。加えて、日本人の食生活の変遷によるお米の消費量の低減、原宿における夜間人口の減少という事由も重なり、原宿の米屋は減っていきました。
原宿に限らず「国民にお米を安定して供給する」という、かつての米屋の存在意義は、今となっては急速に薄れてきています。

そのような状況で、なぜ弊社は米屋として存在し続けるのか? 弊社の存在意義はどこにあるのか?
この「原宿・表参道」の過去と現在という視点から、私は次の二つにそれはあると思っています。

稲作文化を守りたい

弊社のある、渋谷区神宮前6丁目近辺はかつて「穏田(おんでん)」という地名でした。江戸時代の画家、葛飾北斎の代表作である「富嶽三十六景」の一つに「隠田の水車」という絵があります。
そう、その場所こそ、今の原宿なのです。

今ではとても思いもつきませんが、原宿はかつては水田が広がり富士山を臨むことができる、それはそれは風光明媚な土地でした。ご存知の通り、水車は水力を利用して精米や製粉を行う設備です。江戸時代から渋谷区には多くの水車が設置されており、明治時代初期にはその水車を利用した精米・製粉産業がさかんで、地区内の米や麦の生産量の3倍もの量の精米や製粉を行っていたそうです。

そのような場所…稲作文化、精米産業と縁の深いこの土地で、偶然とはいえ小池精米店はお米を精米し、販売しています。この場所で、お米を専業で扱っているのは唯一、弊社だけです。

私は「稲作文化」とは日本社会を構築する「礎」の一つだと思っています。

稲作文化は、食文化はもちろんのこと私たちの周りに多大な影響を及ぼしています。水田は日本古来の原風景を作り出してきました。また「自然のダム」と呼ばれ治水の役割を果たしてきました。多くの生き物を育み、人と生き物が共生できる環境を作り出してきました。お米を貯蔵することで富をたくわえる者が現れ、ムラやクニを統治していきました。戦国時代や江戸時代ではその土地の価値はお米の生産量で決まりました。神事を行う際にはしめ縄やお餅、日本酒といったお米由来のものが欠かせません。最近では水田の蒸散化作用が温暖化防止に役立っていると言われています。

しかしいま、その稲作文化が過去に例の無いほどのレベルで存続の危機に立たされています。

消費者サイドでは、冒頭で述べましたように食生活・ライフスタイルの変遷によりお米の消費量が減ってきています。
生産者サイドでは、高齢化が進み耕作放棄地が増えています。加えて将来的な課題としてTPPによる激安なお米の輸入が懸念されています。

葛飾北斎が足を止め、筆を進めたほどの美しい水田風景が広がっていたこの原宿。かつては水車による精米産業が栄え、地域の食糧供給を支えたこの原宿。昔から稲作文化と非常に縁の深いこの場所で、この地に唯一残る米屋だからこそ、お米の販売を通じ、日本の礎の一つである「稲作文化」を守るための活動をしていきたい。
それが弊社の存在意義の一つだと思っています。

地方と都会のかけ橋となりたい

そしてもう一つ。弊社はこの「原宿・表参道」という場所を活用し、お米の販売を通じて「地方と都会のかけ橋」になりたい、と考えています。

ご存知の通り「原宿・表参道」は日本中から常に注目されている街です。新しいコト・モノが常に生まれ続けている前衛的な街です。ここまで情報発信力の強い街は、他には滅多にありません。そのような場所で、偶然にも弊社は「唯一の米屋」として商売をしております。この場所のおかげで、弊社は何をするにせよ注目されやすい立場にあります。これを活用しない手はありません。

私が改めて言うまでもなく、日本は都会に人口も産業もお金もモノも集中しています。いっぽうで地方では少子高齢化、産業の縮小化等で地盤沈下が著しく進んでいる地域が数多くあります。米屋を継いで各地域の生産者さんとつながりを持つようになると、そういった状況をよりリアルに、肌で感じるようになってきました。

都会で暮らしている私たちの「食生活」は、地方の生産活動なしでは成り立ちません。いっぽうで、地方の生活も都会との経済的やり取りが無ければこれまた成り立ちません。そういった、地方と都会がお互い向き合っているベクトルを仲立ちし、結びつけることが出来る立場に、実は弊社がいるのではないか? そう気付きました。
弊社が立地している場所、そして扱っている商材は、まさにその「仲立ち」を実現化するためにうってつけの要件なのです。

お米には地方の生産者さんの想いが詰まっています。掘り起こせば、お米が栽培された地方とはどのような環境なのか、土地柄なのか、文化があるのか、人が住んでいるのか…。そういった情報が必ずバックボーンに存在します。弊社はお米を単なる「モノ」として扱うのではなく、そのお米にまつわるバックボーンも併せ、「メッセージのある商品」としてお客様にお届けします。

「原宿・表参道」が情報発信力の強い街だからこそ、弊社が発信する情報も、きっとより鮮明に、強いインパクトを伴ってお客様に届くことでしょう。そして、都会の人が自分の住んでいる場所以外の地方に関心を持ち、興味を持ち、顔を向け、そして結びついていこうという動機に少しでも繋がっていくのでは…そう願っています。

やがて、都会の人がお米の購入のみならず、実際に地方に足を運ぶ、その地方のモノを買う、その地方に暮らすようになる。そういった都会と地方の格差解消、地域活性化のきっかけづくりの一助になれば…。
それこそが弊社のもう一つの「存在意義」だと思っています。

普段から身近にある「お米」。

日本古来より私たちの身近にあったこの作物は、単なる食糧の域を超えて、私たちの社会、文化、体、心…の礎となっています。それでもかつては、いつでも庶民の口に入るような作物ではありませんでした。いま、お米はいつでも手に入り、口に入れることが出来ます。その事実がかえってお米の存在意義を失わせている原因にもなっているのでは…そう思います。

今こそ、改めて日本人の心の奥に潜む「お米に対する敬意」を、取り戻すべきでは。そのような思いで、商売を通じて日々お米に触れていきたい…と思っています。

令和3年5月15日 有限会社小池精米店 代表取締役三代目 小池理雄